火事。

4月27日の出来事。
8時半からの理科教員の会議を終え、化学教諭と化学室で「原子」と「元素」の違いについて議論してた。その先生の次の授業は11時から。ふと時計を見たら10:55だった、時計を持っていないその先生に「そろそろだよ」と伝えようと顔を上げた、そんなとき。

外で生徒が騒いでいる。煙が見えたか化学教諭が「火事だ」という。私には見えない。私からの死角の方角には私の家がある。今朝火の元を確認したか一気にフラッシュバックする。外に出る。煙は私の家の上まで届いていた…が出火元は生徒の男子寮であった。

2階建ての建物。休暇の際にのぞかせてもらったが中は2段ベッドが大量に押し込まれている。その密度で置かれているマットレスたちは火の手を大きくするのには十分だっただろう。50mほど離れているが火が見える。何人かの先生が消火器を持っていくが化学教諭の言うとおり「消防じゃなきゃ無理だ」。初期消火のリミットはとっくに過ぎていた。

消防が来るまでの間ただただ立っているだけ。私はこういう時には偽善でもいいから前に出るタイプだと自覚していたが今回は違った。恐れ滅入ってしまっていたのか冷静に行動しようと努めていたのかはわからない。ただ自分にはどうしようもないということは痛いほどはっきりとわかった。足が震えているのが分かる。野次馬は200人ほどになっただろうか。ハッと我に返る。人が多すぎる。何か爆発でも起きようなら伴って将棋倒しが起きてもおかしくないほどだ。まわりに親しい先生を探す。

先生たちは生徒よりも落ち着いて行動していた。ぎりぎりまで近づいて見ている生徒たちに対し大半の大人は離れた距離から様子をうかがっていた。一つの教師集団を見つけ言う「生徒が集まりすぎだ。もう一回爆発でも起きたらパニックになって彼らは逃げられなくなる。」うまく伝わったか不安であったがすぐさま3人ほどの先生たちが協力して最前線にへばりつく生徒たちを減らせた。今思い返すと終始私は「外国人が言っても聞かないだろう」とビビっていたようにも思える。ビビらなかったらできたことがあるかと言えば、ないのも事実ではあるが。

消防車1台が来る。消火活動が始まり、段々と火は見えなくなり、煙も黒煙から白煙に変わる。けが人は特にいない様子だ。しかし水が切れたらしい。町で唯一の消防車。水を汲みに署に戻っていく。消防車が来たらそれで安心なのではない。この先の不安が募る。

それと同じころに大勢の生徒が校舎から駆け付ける。彼らはさっきまで教室のベランダから見ていた集団だ
。一緒にきた教師に訊くとパニックになるのを避けるために階段を封鎖していたそうだ。リスクマネジメントは大切だなとこの辺まで脳みそは働いていた。

自分の頭もだんだんパニックになってくるのが分かる。親しい人か居慣れた場所を求める。家に行く。家は寮から風下へ50m。最悪、火の手が回ってきてもおかしくはなかった。

家の前で近所の小学生と話す。近くに行き様子を見てきたらしい。「鉄がね、溶けてね、それでね…」この子も恐怖を表現するので必死だ。

消防車が離れた後は数人の先生と生徒が2階へあがりバケツリレーで火の勢いを抑えつつ取り出せるものをとにかく出していた。何度か大きな音がする。爆発か。出火元は電気系統だという噂を聞き現場の近くで見ていた理科主任に建物のブレーカーは落としたか訊く。どうやら音はトタン屋根の収縮によるものだそうだ。温度は下がってきている。

周りの様子としてはただひたすら様子を見ている人が大半であったが、まるで映画タイタニックの楽器奏者の人たちのように平然を装い普段通りの仕事を行っている人たちもいた。テレビのレポーターとそれの取材のものまねをしている教師たちもいたがそれが悲しみを処理しようと必死になってやっているのもすぐに分かる。日本の避難訓練と人員点呼の話をしたがもう今更何もできない上に新学期バラバラに学校に戻ってくる期間のドミトリーの火災では点呼のしようが無い。

2度目の消防車にてほぼ鎮火がなされた。消防車はもう一往復して完全に鎮火した。時計を見ると13時。段々と野次馬は帰っていく。なにを思ったか私は自宅に行き昼食。炎天下に2時間立ちっぱなしだ。腹は減る。終わるころに「男子生徒は食堂に集合するように」との放送が。急いで様子を見に行く。なぜ居合わせていたかはわからないが元議員がいて話をしている。その後に生活指導主任が話す。彼らも激励しかかけられない、そんな状況だ。その後、事務員と校長で会議が開かれているようであった。今回は学費の納期前後のため学費が燃えた子もいると聞く。学校にとっても二重のダメージである。

鎮火した現場に行ってみる。ガーナの建物は石造り。ブロックを積んでコンクリートで固める。それだけである。そのため壁や床は燃えなかった。「一緒に見に行こう」と同僚に誘われるがまま燃えた部屋へ。テレビ局の人があたりをうろつき始める。

誰も、死んでも、怪我すらもしていないけれど悲しさがあった。燃え残った物も、すすと水で使えないのが分かった。ショックと被害は思った以上に大きかった。

何かできないことはないかと探す。皮肉好きの親しい友人である会計士が会議を終え、「日本には電話したか?これは助けが必要だ!」と言ってくる。彼なりの黄色信号だ。学校の今後が不安になる。家に帰り、カメラを持ち、記録に再び現場へ。その後JICAの資料を調べどうにか支援できないか探る。

気持ちが落ち着いていないのは百も承知で調整員(JICAでのボランティアの直属の上司にあたる)に電話をかける。調整員になぜ支援できないかを諭されたとき自分がいかに気が動転しているか悟る。

疲れた。このまま寝るのもありだが気分を晴らしたく町を一周する。こんなにもぼーっと町を歩くのは初めてだ。犯罪にあわなくてよかった。消防署には今日を思い出させる消防車がある。アイスとリンゴと散財し家に帰る。

彼らは明日から普通通りにやろうとするだろう。どうなるのだろう。

久々に涙が出る。彼らは鎮火直後から普段通りに冗談を言い合い通常運転に戻っているように見えるがそれが取り繕われたものであることは簡単に見通せる。

生徒もだ。町からの帰り3年生とすれ違った。いつも通りニコニコと笑って挨拶してくる。心理学の授業で聞いたことを思い出す。子どもは大人が悲しんでいるとその間は無理して笑ってごまかすのだと。こっちが早く立ち直らなければ。

たかが火事でしかも怪我人すらなかった。しかし親しんだ周りの人たちがパニックになる姿をみて悲しかった。怖かった。異国の地でトラブルに巻き込まれる怖さを知った。自分のストレスに気をつけながらゆっくりと過ごしたい。

One thought on “火事。”

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s