Give me money.

「Give me money.」

まあ、言われます。言われてきた。この7か月ぐらい。
そこで感じるのはこの「金くれ」には2つの性格があるんじゃないかと。

①物乞い
金を稼げないから、金を持っている人からもらおうという「お金稼ぎの手段」

②お小遣い
通りすがりの人がお金持ってそうなのでとりあえずねだってみる。「棚ボタまってます」

どちらかに区分していくんではなくて「どっちが何%占めるか」というイメージである。まあ個人の意見なので。
②が100%だと判断したら「やだ!」っていって笑顔で去ってます。そのほかの時もどうにかやり過ごす。けれどもこの行為ももしかしたら彼らを傷づけているかもしれない。

「魔法少女まどか☆マギカ」のキュゥべえの台詞を思い出す。

「騙すという行為自体、僕たちには理解できない」
「認識の相違から生じた判断ミスを後悔する時、何故か人間は、他者を憎悪するんだよね」(引用元

この台詞はこっちでの生活をする上で本当に感じる。相手のことを疑ってしまう。騙されたくないと思ってしまう。けれども実はそれは単にミスコミュニケーションが起きていただけということもかなりある。だが未だ「金くれ」と言ってきた人たちとそうなったことはない。認識の相違が起きている。そう思うのだけれど「騙されたくない」という思いも出てくる。

結局のところ私は「お金を渡したくない」というよりは「嫌な気分になりたくない」と言うのが大きい。お金は譲渡するのにはすごく難しい物だと思う。何にでも変えられるもの。そしてその価値が数値化されたもの。この2つの特性を考えるとお金ってすごく怖いと思う。

物をあげるならいい気もする。「ついてこい」といい屋台で一飯おごってやる。そんなことならたまにはいいんじゃないかとも思う。けれどもこれでもまだ何か「認識の相違」を生む気がする。怖くてやってはいない。

となりの子ども2人にも「ビスケット買ってきて!」とよく言われる(週に1度のイベント)。この家族とは付き合いが深く私がやってきたときには彼らの母親が調理器具一式買い揃えるのを手伝ってくれたりトマトシチューの作り方を教わったりした。なので少し遠出(特に首都にいったとき)した際には毎度ではないがお土産を持っていくこともある。だから彼らは言ってくる。ここにも「認識の相違」はある気がする。

難しいけれどっちがあっている間違っているではなく「誤解が起きている」「どこかですれ違っている」と思いときに考え抜き、時に逃げて対処しようかな。

関係ない話、先日中国からの輸入中古鞄を隣の家が仕入れて洗っていたら硬貨が出てきたみたいで「日本の?」と訊かれる。計15角(?) ぐらい出てきてた。

おしまい

Mekwaaba wae.

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